2001年3月6日(ミロクの日)、オックスフォード大学の178年の歴史を誇る講堂で行われるマイケルの新しいチャリティー・プロジェクト「ヒール・ザ・キッズ」の設立パーティーには、2万人以上の希望者が殺到したが、入場できたのは数百人程度だったそうです。
このマイケルの35分以上に渡る講演、非常に素晴らしいです。
彼にとって、この講演は生まれて初めてだったようですが、極めて完成度の高い講演です。
彼が音楽の演奏やレコーディングにおいて完璧主義者だったことはよく知られていることですが、この講演の原稿内容とその実施も完璧で、時間をかけて丁寧に準備したと思います。
また、講演の中で彼は当時42歳ですが、精神年齢は80歳を超えていると思うと話していますが、幼い頃からの名声と苦労(人種差別等)と多くの場所を訪れ、様々な文化に触れてきた経験が精神を磨き上げたのかもしれません。
また、彼は常に素直で純粋な少年の心を持ち続け、かつ、精神性を向上させようとしている人で、大天使:ミカエルのように精神性が非常に高い人だとも思います。
彼の講演の内容通り、みんなが行動すれば、子供と世界も癒され、より良い世界になっていくでしょう。
☆[講演の概略]
O世代(マイケルはその先駆者)は、外界のモノ(富、成功、きれいな服、かっこいい車…)は何でも持っているけれど、内面がむなしさにうずいている世代です。
2001年当時の歴史的に見ても、非常に豊かで発展した国:アメリカでは、1日、未成年の若者が6人自殺を図り、12人が銃の犠牲になっていました。薬物使用で逮捕される子供は399人、10代の母親から生まれる赤ちゃんは1352人にのぼりました。
確かに、アメリカでは他の先進国よりもはるかに、暴力が蔓延していますが、アメリカの若者は、そうやって心の傷や怒りを表現しているのです。
その原因は現代的な生活のせいで「子供時代を持てない」ということ、ハリウッドの子役スターだけではなく、現代ではみんなに共通の不幸であり、世界規模の悲劇となっています。
彼らが本当に求めているのは、『無条件に愛し、受け入れてもらうこと』で、彼らはそれらを子供の頃に享受できなかったのです。
○一昔前の親は、富や地位といった欲に目を奪われたりせず、子供を最優先に考えたものです。
この愛こそが人類の家族が受け継いできた最も貴重な財産であり、最も豊かな遺産であり、黄金の伝統で、世代から世代へと、受け継がれていく宝物だということがわかっていたです。
○すべては、『ゆるす』ことから始まります。
親を非難するのではなく、親のしたことを良い方向に考えてみて、敬意を表してみましょう♪
マハトマ・ガンジーは言っています、「心弱きものは、ゆるすことができない。ゆるすことは、強さの裏返しである」と。
なので、皆さん、ゆるせる強い人間になりましょう♪
○また、世界を癒やすには、まず、自分自身を癒やさなければならないからです。
そして、子供達を癒やすには、まず私達一人一人が、自分の心の内なる子供(=インナーチャイルド)を癒やさなければなりません。
人間として成熟し、無償の愛を与えられる親になるためには、満たされない子供時代の幻影に別れを告げなければなりません。
また、子供時代に受けた傷が人生にどんな影響を与えようとも、それを乗り越えなければなりません。
目指す所は単純で、親子の絆を取り戻し、失われた関係を修復し、地球の将来を担う素晴らしい子供達の進む道を明るく照らすことです。
ジェシー・ジャクソンの言葉にあるように、「ゆるし合い、つぐない合い、そして前へ進みましょう♪」
破られた約束(親子関係)を修復するという難題を解決するために、立ち上がりましょう♪
「子供達の心を通じて、親の心が戻ってくる時、新しい世界、新しい時代が訪れるでしょう。
また、彼はここで「子供達の普遍的な権利法案」の制定を呼びかけました。
⒈ 愛される権利。求めずとも。
⒉ 守られる権利。どんな状況でも。
⒊ かけがえのない存在だと感じられる権利。何も持たずに生を受けようとも。
⒋ 話を聞いてもらえる権利。どうということもない話でも。
⒌ 寝る前に読み聞かせをしてもらえる権利。夕方のニュースや「大河ドラマ」とせり合わずとも。(訳注:原文は『East Ender』というイギリスのドラマ)
⒍ 教育を受ける権利。学校で銃弾におびえることなく。
⒎ 愛しい子と思われる権利。たとえ母親にしか愛せないような顔だちだったとしても(場内笑)
下記に全文を載せます。かなり長いですが、是非読んで下さい。
https://blogs.yahoo.co.jp/shunshouataisenkin/31972241.html
https://blogs.yahoo.co.jp/shunshouataisenkin/31972510.html
https://blogs.yahoo.co.jp/shunshouataisenkin/31972737.html
https://blogs.yahoo.co.jp/shunshouataisenkin/31972924.html
スピーチの内容は上記アドレスから引用させて頂きました
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マイケルのオックスフォード大学での講演➀
このように暖かくお迎え頂き、心からお礼申し上げます。学長、お招きに預り、光栄に存じます。
また、ここオックスフォードで11年間ラビを務めるシュムリー師にも感謝しております。私達は「ヒール・ザ・キッズ基金」設立に奔走した仲であり、子供らしさとは何か、をテーマに共同で執筆もしています。すべての活動を通じて私を支えてくれる、かけがえのない友人です。
「ヒール・ザ・キッズ」ディレクターで、マーシャル奨学生として学んだ母校オックスフォードへ今夜戻ってきた、トバ・フリードマンと、もう一人の中心メンバー、マリリン・ピールズにも感謝しています。
かつて、マザー・テレサ、アルバート・アインシュタイン、ロナルド・レーガン、ロバート・ケネディ、マルコムXといった素晴らしい方々が講演されたこの場でお話できることを大変光栄に思っています。
セサミストリートの「カエルのカーミット」もこの場に立ったと聞き及んでいますが(場内笑)私は「ここに立つのに青いってのは、つらいよ」というカーミットの気持ちがよくわかります♪(場内笑)カーミットも私同様、この壇上にいるのは落ち着かない気がしたことでしょう。
オックスフォードを見て回ると、この素晴らしい施設の荘厳さが胸に迫ります。数世紀にわたってこの地を闊歩した、偉大な天才の輝かしい足跡が脳裡に蘇るのは言うまでもありません。オックスフォードは、偉大な哲学者や科学者を擁しただけでなく、JRRトールキンやCSルイスなど素晴らしい児童文学作家も世に送り出してきました。
クライストチャーチでは、ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」が窓のステンドグラスにとどめてあるのも拝見しました。また、子供の大好きなアメリカの児童文学者ドクター・スースの絵もありました。彼はこのホールから出発して、世界中の多くの子供たちの想像力を養う作品を生み出したのです。
さて、私が今夜この壇上に立っているわけからお話を始めましょう。
私には、このホールで講演をしてきた他の方々のように専門知識があるとはいえません。彼らがムーンウォークの名人とはいえないのと同じです♪中でもアインシュタインは、ムーンウォークがからきしダメだったそうですね♪
けれども、私が自信を持って言えるのは、『大抵の人より多くの場所を訪れ、様々な文化に触れてきた』ということです。「知識」とは、羊皮紙とインク(書物)ばかりを意味するのではありません。『膨大な知識が、心に書かれ、魂に彫りこまれ、精神に刻み込まれている』ということも忘れてはなりません。
皆さん、私はそう長くないこれまでの人生で、あまりにも多くの経験をしてきたので、まだ42歳というのが信じられません。よくシュムリーに言うのですが、『精神年齢は80歳には達している』ような気がします。今夜は80歳のように歩いてさえいます(場内笑)♪
ですから、晩は私の話におつきあいください。今日ここでお話しすることが、人の心を癒やし、この地球をも癒やしていけるかもしれません。
神のお恵みによって、幸い私は、人生の早いうちから意識するようになった夢-—アーティストとしての夢や、キャリア上の夢--を叶えることができました。
けれど皆さん、こうしたこと私の実績に過ぎず、それが私の全てを表しているわけではありません。5歳の少年が、お客さんの熱狂を前に『ロッキン・ロビン』や『ベンのテーマ』を元気に歌っていた時、その笑顔は少年の本当の心を表していたわけではなかったのです。
今夜私は、ポップアイコン(この意味はさておき)としてではなく、私達世代—-つまり、もはや子供時代とはどんなものかを知らない世代-—の象徴としてここに立っています。
人は誰しも、子供時代の産物です。けれど私の場合は、「失われた子供時代」の産物というべきでしょう。私は、屈託なくはしゃいで、両親や身内の愛情を一杯に浴び、最大の心配事は、月曜の朝にあるつづりテストの勉強、というようなかけがえのない、素晴らしい時期を通ることなく、大人になってしまったのです。
ジャクソン5をご存じの方は、私が若干5歳でステージに立ち始めたことをご存じでしょう。そしてご存じの通り、以来ずっと歌い、踊り続けてきました。ステージに立つことや、音楽を生み出すことは、今でも疑いもなく私の最大の喜びの一つです。ですが、小さい頃の私は、何よりも普通の少年でいたかったのです。友達と木の上に家を作ったり、水風船をぶつけっこしたり、かくれんぼをしたりしたかったのです。
でも、私には別の運命が定められていて、周りで遊ぶ子供達の笑い声を聞きながら、「いいなぁ」と思うしかありませんでした。仕事中心の私の生活に、息抜きはありませんでした。ですが、毎週日曜日には、私はパイオニアに出掛けたものです。これは、エホバの証人が行う布教活動です。そしてこの機会に、私は、よその人達の「子供時代」の魔法を垣間見ることができたのでした。その頃には、すでに顔が知れ渡っていましたから、太って見える服、かつら、ひげ、眼鏡での変装が必須でした。そうやって、カリフォルニア南部郊外の家々を訪ねて行ったり、ショッピングモールを回ったりしては、機関誌「ものみの塔」を配ったものです。
私は、こういった郊外の平凡な家庭を訪問しては、日常の生活を覗くのが大好きでした。暖炉やLa-Z-Boy製のひじかけ椅子のそばで、子供達がモノポリーに興じていたり、おばあちゃんが子守をしていたりというような、素晴らしくも平凡で、そして輝くような光景です。そんなのはとりたてて騒ぐほどのことでもない、とおっしゃる方が大半なのは、分かっています。けれども、私の目には、そうした光景はたまらなく魅力的に映ったのです。
「子供時代がなかった」という思いを抱いているのは、自分だけかと思っていました。この思いを分かちあえるのは、実際、一握りの人だけだと信じていたのです。最近、シャーリー・テンプル・ブラックにお会いしました。1930、40年代に活躍した子役スターです。ふたりは初め、言葉もかわさず、ただ共に涙しました。彼女も、親友エリザベス・テイラーやマコーレー・カルキンのような人にしか分からない痛みを知っていたからです。
同情して頂きたいのではなく、こう申し上げたいのです。今や、「子供時代を持てない」ということは、ハリウッドの子役スターだけではなく、みんなに共通の不幸であり、世界規模の悲劇となっています。「子供時代」が、現代的な生活のせいで失われてきているのです。
「子供らしく過ごすということがどんなことかを知る」という喜び・権利・自由を味わったことのない子供達が、日々、生み出されています。今日、子供達は、早く大人になることを絶えず求められています。まるで、『子供時代というのはやっかいな時期で、我慢しながら、できるだけすばやく通り抜けなくてはならない』とでもいうように。この点については、私は専門家になれるぐらい、嫌というほど経験してきています。
私達は、親子間の神聖な取り決めが破られるのを(=親子間の断絶を)目の当たりにしてきた世代です。心理学者は『子供が知性と人格の健全な発達に欠かせない無償の愛を与えられない時の破滅的な影響』について、たくさんの本の中で、詳細に述べています。
『愛を注いでもらえず、放っておかれるので、自力で成長しなければならない』ということがあまりに多くの子供に起きています。私達の周りで、かつて世代同士をつなぎ合わせていた固い絆がほどけるに従って、子供達は、親や祖父母、その他の家族からどんどん離れていっているのです。
こうして親子間の約束が破られたために、新たな世代が生み出されました。O世代とでも名付けましょう。O世代はX世代から、バトンを受け取りました。O世代は、外界(outside)のモノ--富、成功、きれいな服、かっこいい車--は何でも持っているけれど、内面がむなしさにうずいている世代です。この胸の空洞、心の奥底の荒野、中心にぽっかりあいた穴では、かつて、心臓が鼓動を刻み、愛が息づいていたのです。
そして、苦しんでいるのは子供ばかりではありません。大人も苦しんでいます。というのは、子供の体をした小さな大人を育てようとすればするほど、大人の中の子供らしい資質も失われてしまうからです。子供らしい精神には、大人として生きていく中でも、持ち続ける値打ちのあるとても豊かな側面があるのにです。
皆さん、『愛、愛こそ、人類の家族が受け継いできた最も貴重な財産であり、最も豊かな遺産であり、黄金の伝統です。世代から世代へと、受け継がれていく宝物です。』
昔の人達には、今の私達が手にしているような豊かさはなかったかもしれません。家には電気も通っていなかったかもしれませんし、セントラルヒーティングもない小さな家に、たくさんの子供達がひしめいていたものです。けれども、そこは、暗くも寒くもありませんでした。愛の明かりが灯り、心地良い人の心の温もりに包まれていたのです。親は、富や地位といった欲に目を奪われたりせず、子供を最優先に考えたものです。
ご存じのように、イギリスとアメリカは、トーマス・ジェファーソンの述べた「奪うことのできない権利(訳注:独立宣言における生命・自由・幸福の追求権)」をめぐり、決別しました。両国は、彼の主張の是非については対立してきたかもしれませんが、子供が明らかに一定の権利を持つということについては、対立したことはありませんでした。
こうした権利が徐々にむしばまれてきたせいで、世界中の子供たちの多くが、子供時代の喜びや安心を享受できなくなってきています。
そこで、今ここに、すべての家庭に、児童権利章典の考えを取り入れて頂くよう、お願いしたいのです。条項はこのようなものです。
⒈ 愛される権利。求めずとも。
⒉ 守られる権利。どんな状況でも。
⒊ かけがえのない存在だと感じられる権利。何も持たずに生を受けようとも。
⒋ 話を聞いてもらえる権利。どうということもない話でも。
⒌ 寝る前に読み聞かせをしてもらえる権利。夕方のニュースや「大河ドラマ」とせり合わずとも。(訳注:原文は『East Ender』というイギリスのドラマ)
⒍ 教育を受ける権利。学校で銃弾におびえることなく。
⒎ 愛しい子と思われる権利。たとえ母親にしか愛せないような顔だちだったとしても(場内笑)
皆さん、人間の認識の土台、意識の始まりは「自分が愛されている」という認識でなくてはなりません。自分の髪が赤いか茶色いかを知る以前に、肌が黒いか白いかが分かる以前に、どんな宗教に属しているのかを知る以前に、愛されているという実感を持てなくてはならないのです。
12年ほど前、バッドツアーを始めようという頃、ひとりの少年が、ご両親とともに、カリフォルニアの自宅を訪ねてきました。ガンで死期の近い少年でした。私の音楽、そして私のことをどんなに好きか、彼は語ってくれました。
「少年の命が長くはなく、すぐにも天に召されてしまうかもしれない」とご両親からうかがって、私は彼に言いました。
「ねえ、3ヶ月後に、君の住んでいるカンザスの町でコンサートをするよ。だから見に来て。さあ、ビデオで着たこのジャケットをあげる。」
少年は目を輝かせて言いました。「ぼくにくれるの?」
私は答えました。「うん、あげる。でも約束して。これをコンサートに着てくるって。」
私は少年を持ちこたえさせようとしていたのです。「コンサートには、このジャケットを着て、この手袋をはめてくるんだよ?」私はそう言って、普通は決してあげないことにしている、ラインストーンの手袋を渡したのです。彼は嬉しくて天にも昇るような素振りでした。
でも、すこし天に近すぎたのでしょうか。私がカンザスを訪れたとき、彼はすでに息を引き取ってしまっていました。
あの手袋とジャケットを身につけて葬られたそうです。わずか10歳のいのちでした。もちろん彼は、もちこたえようと必死に頑張ったのでしょう。
でも、いざ息を引き取る時には、「ご両親だけでなく、ほとんど他人の私からさえ愛された」ということを実感できたに違いありません。
私の方も彼のことが大好きだったのです。こうした愛をいっぱいに受けた彼は、「この世にひとりぼっちで生まれてきて、ひとりぼっちで死んでいくわけではないんだな…」と思えたはずです。愛されている実感をもってこの世に生を受け、愛されている実感をもってこの世を去るなら、人生何が起ころうとも、乗り越えて行けるものです。教授にけなされてもへこたれず、上司にしぼられてもへこまず、企業戦士にしてやられても、凱歌を歌うことができるでしょう。愛を受けて育った人を、本当の意味で傷つけることはできません。自分が愛される値打ちのある人間だという実感を持っているからです。他の諸々は、ただの包み紙のようなものにすぎないのです。
一方、愛された記憶がないと、心を満たすものを求めて、世界中を探し回ることになります。ですが、どんなにお金を稼ぎ、どれだけ有名になろうとも、心の空白は埋められません。本当に求めているのは、無条件に愛し、受け入れてもらうことで、それこそ、そういう人が、生まれた時に享受できなかったものなのです。
想像してみて下さい。これが、アメリカの典型的な一日です。未成年の若者が6人自殺を図り、12人が銃の犠牲になっています。いいですか、年間ではなくて、一日当たりの数字ですよ。薬物使用で逮捕される子供は399人、10代の母親から生まれる赤ちゃんは1352人にのぼります。このようなことが、歴史的に見ても、非常に豊かで発展した国で起きているのです。確かに、アメリカでは他の先進国よりもはるかに、暴力が蔓延しています。アメリカの若者は、そうやって心の傷や怒りを表現しているのです。
けれども、イギリスの若者に、同じような痛みや苦悩がないわけではありません。調査によると、イギリスでも、1時間に3人のティーンエイジャーが、自傷行為に及んでいるそうです。つまり、自らを切りつけたり、焼いたり、薬物を過剰に摂取してしまうのです。愛されない痛み、苦しみをどうにかするために、このようなことへと向かってしまうわけです。イギリスでは、「家族揃って夕食をとる機会が1年に1度しかない」という家庭がなんと20%もあるそうです。1年にたった1度ですよ!
それに、長年の素晴らしき伝統である、寝る前の読み聞かせはどうなっているでしょうか?1980年代の調査では、読み聞かせをしてもらっている子は、そうでない子よりもはるかに優れた能力を示し、学校でも優秀な成績を修めることが分かっています。にもかかわらず、イギリスの2~8歳の子供のうち、毎晩寝る前の読み聞かせをしてもらっているのは33%にも満たない現状です。今の親が子供の頃には、75%が読み聞かせをしてもらっていたということを考えると、この数字は深刻にとらえなくてはならないでしょう。
この心の痛み、怒り、暴力的な行動の原因は探るまでもありません。子供達は、明らかに、放っておかれることに抗議し、関心をもってもらえないことにうち震え、気づいてほしいと叫んでいるのです。アメリカの様々な児童保護機関によると、毎年、何百万人の子供が、放っておかれるという形の虐待の犠牲になっているそうです。そう、[放っておかれるという虐待]。それは、あらゆる電化製品を完備した豊かな名声ある家庭でも進行しているのです。そういう家庭では、親は帰宅しても、本当にうちに帰ったとはいえません。頭はまだ、仕事のことでいっぱいだからです。
では、子供達は?どうにか手に入る感情の欠片でしのぐだけ。どんなにテレビやパソコンやビデオづけになったところで、大したものは得られないのです。こうしたひどい統計数値をお聞きになった今、みなさんにも、私が、こんなに多くの時間と私財を投じて、新財団「ヒール・ザ・キッズ」を成功させようとした理由が、お分かり頂けるでしょう。私は、悲しい数値に、魂がちぎれ、精神を揺すぶられたのです。目指す所は単純です。親子の絆を取り戻し、失われた約束を取り戻し(関係を修復し)、地球の将来を担う素晴らしい子供達の進む道を、明るく照らすことです。
マイケルのオックスフォード大学での講演➁へ続く