Quantcast
Channel: 【図書館カフェHabi∞Road】無意識を使って、幸せになる道。
Viewing all articles
Browse latest Browse all 5218

28日(月)は、旧暦の七夕❶今年は天の川が見える!

$
0
0

28日(月)は、旧暦の七夕(七月七日)です。本来は旧暦で行うのが真の七夕です。(2018/8/17、2019/8/7、2020/8/25)
【旧暦の伝統的七夕の日】とは「二十四節気の処暑(太陽黄経150度になる瞬間)を含む日かそれよりも前で、 処暑に最も近い朔(新月)の瞬間を含む日から数えて7日目」と定義されています。
奈良県吉野の【天河大辨財天社】でも、七夕神事のあと、萬霊供養の七夕祭が執り行われます。
【1】【旧暦の七夕は、天の川が良く見える確率が高い】
新暦の七夕と違い、梅雨は完全に明けていますので、晴れになる可能性が高いです。(現時点の予報では、晴時々曇です。)
そして、旧暦では、七夕は必ず上弦の月(月の右側だけが輝いている半月)の日になりますので、月明かりが比較的少なくなり、天の川が見やすくなります。(※旧暦では、何日と言えば、月のかたちと時刻まである程度言い当てることができます。【1日(朔日)は新月】で、真っ暗で、七夕の【7日は上弦の月】で、昼頃東から昇り、日の暮れる頃南の空に現れ夜の22時頃西に沈みます。【15日は満月】で、日の入りの頃東から登り、真夜中南の空に見え、日の出の頃に西に沈みます。)なので、旧暦の七夕は、天の川が良く見える確率が高いのです!
伝統的七夕の日は晴天率は高く、月は22時頃には沈み、その後は天の川がくっきりと見える可能性が高いので、明かりを消して、星空に目を向けてみましょう!
織姫星「琴座」「ベガ」で、彦星「鷲座」「アルタイル」です。さらに、もう一つ、目立って明るい星が左の方にあり、それは、「デネブ」という「白鳥座」の星です。これら3つの星は星々の中でも特に明るい「1等星」で、3つを結んでできる大きな三角形「夏の大三角」です。
主役の織姫星や彦星は空の高い位置まで昇っており、天の川も高い位置にきていることから、新暦の七夕と比べて随分と見やすくなっています。空が暗い場所なら、肉眼でも雲が沸き立つように見えるでしょう。


天体写真はこちらから
旧暦で決められていた祭日・祝日をそのまま新暦の日に移すと、不自然で「何かしっくりとこない」
七夕は8月上・中旬(新暦)の節供・節日(五節句の一つ)のお祭りで、本来、秋の行事です。下記のような漢詩があります。
─帝里初涼至 神衿翫早秋(略) 帝都にも【初秋の気配】が訪れ、天子は【七夕の宴】を賞美される(略)─(『懐風藻』)
『懐風藻』は奈良時代に編まれた現存する日本最古の漢詩集です。その時代と現在では若干の季候の変動もあるかもしれませんが、七夕が秋の気配を感じさせる頃の行事だったことがうかがえます。
例えば、桃の節句3月3日旧暦では4月上旬となり、本州の桃の開花時期は3月下旬~4月上旬です。ですから、桃の節句にふさわしいのは旧暦3月3日です。
また、9月9日の「重陽の節句=菊の節句」は、「それにちなんだ菊の花や掛け軸」、それに菊花酒(菊の酒)を飲む風習もあったそうです。秋の気配を感じながら、月を愛で、酒に親しむ……という風情だと思うのですが、新暦では残暑の真っ只中で、お酒も冷やビールがふさわしい位です。旧暦の9月9日であれば新暦では10月3日頃~11月1日頃で、季節感は旧暦の方が出ます。
このように、旧暦で決められた祭日・祝日をそのまま新暦の日に移すと、不自然で「何かしっくりとこない」ですね。
旧暦には私達の先人達の文化(文明)が写し出され、そこには先人達の自然(=神)への親しみや畏怖の念があります。
新暦への改暦が、私達が合理性の名のもとに失ってしまった感性の根っこのように思います。
明治新政府は海外と戦争を始めたり、随分とひどいことをたくさんしてきましたが、目立たない所では、この新暦への改暦と1868年の神仏分離は、自然(=神)と共に生きるという日本の国体を揺るがす大きな出来事でした。
私達が本来持っていた感性に近づくためには、そして、先人達の文化に近づくためには、旧暦のサイクルを知り、自然と共に生きていくことが重要だと思います。

いつ、誰が、どういう理由で、旧暦から自然と離れ、私達の生活に合わない新暦に変わったのでしょう?
それは【明治5年】のことで、【12月2日(1872年12月31日)】まで使われていた旧暦を翌日の12月3日を明治6年1月1日として新暦になったのです。
この時の改暦によって、財政難の【明治政府】は官吏の1ヵ月分の給与を払わなくてもよくなったと言われています。これには、㈠12月分と1月分が一緒になったという話と㈡旧暦のままだと翌明治6年は閏年だったので、13ヵ月分払わなければならなかったからという説があるようです。

上記ランキングに参加しました。下記2つをポチィと押して下さい。

あなたのポチィが励みです。よろしくお願い致します。

■人気ブログランキング こちらをポチィと押して下さい!

■精神世界ランキング  こちらをポチィと押して下さい!

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村←こちらをポチィと押して下さい!

【2】❶【五節句は禊祓の日】
五節句の「節」は季節の変わり目という意味があり、「節句(せっく)」は季節の節目に五穀豊穣、無病息災、子孫繁栄などを祈り神様へお供え物をしたり、邪気を祓ったりする行事のことをいいます。「節句」は「節供(せっく)」とも言われ、神様にお供えする食べ物を意味します。
五節句は、中国の唐の時代(618年~907年)にはすでに制度として整えられており、日本へは奈良時代(710年~794年)に伝わり、宮中行事(宮中で邪気を祓う宴会)になったと言われています。
中国では、奇数は縁起の良い日偶数はその逆で縁起が悪い日と考えられていて、奇数の月と奇数の日は、奇数(陽)が重なって偶数(陰)になるということで、それを避けるために季節ごとの旬の食べ物を食べ、生命力をもらい、その力で邪気を祓う目的で避邪(ひじゃ・魔除けという意味)が行われていました。
1月7日 人日(じんじつ)の節句…別名「七草の節句」です。七草粥を食べて、邪気を祓い一年の豊作と、無病息災を願います。七草を刻む際、鳥追い歌(これを七草囃しという)を歌う習俗もあります。
3月3日 上巳(じょうし)の節句…別名「桃の節句」。元は三月の最初の「巳の日」。古くは河で禊ぎをし汚れを祓い、また、身代わりに人形に汚れを移して河や海に流しました。江戸時代以降は、雛祭りとして庶民にも定着し、女子の節句とされ、女の子の誕生と成長を祝う日です。
5月5日 端午(たんご)の節句…別名「菖蒲の節句」。元は五月の最初の「午の日」。古くはこの日薬草摘みを行い、摘んだ蓬や菖蒲を門口に飾りました。菖蒲(ショウブ)の語が「尚武」に通じるとして武士の台頭に従い、庶民にも浸透し、立身出世を願い、幟や兜飾りを行うようになりました。男子の節句。子供の日で、男の子の誕生と成長を祝う日です。
7月7日 七夕(しちせき)の節句…別名「笹の節句」。中国から伝わった牽牛星と織女星の星祭り伝説が元です。日本では古来からあった「棚機つ女(たなばたつめ)」の伝説との類似性から七夕の日として定着。女子が裁縫や手芸、書道の上達を願う行事も各地に残ります。短冊に願いを込めて、笹に飾ると願いが叶うと言われています。
9月9日 重陽(ちょうよう)の節句…別名「菊の節句」易で陽数の極である「九」が重なることから目出度い日とされました。この日は菊の花を飾り、丘などに登って邪気を祓い、長寿を祈る風習が中国にあり、これが日本に伝わったものです。宮中では「観菊の宴」を開き、長寿祝う節句の中で最も公的な性格が強いものです。民間にはさほど定着していませんが、宮中や寺院では菊を鑑賞する行事が行われています。

❷【五節句の一つ、④の7月7日(七夕、たなばた、星祭り、銀河祭、ほおずきの節句)について】
①【物語】【鷲座の牽牛(けんぎゅう:アルタイル)星】と【琴座の織女(しょくじょ:ベガ)星】が旧暦の7月7日の夜(七夕)に出会う伝説は中国で生まれたものです。
昔々、天の川のそばには天の神様が住んでいました。天の神様には、一人の娘がいて、その名前を織姫と言いました。【織姫】機を織って、神様達の着物を作る仕事をしていました。織姫がやがて年頃になり、天の神様は娘に、御婿さんを邀えてやろうと思い、色々探して見つけたのが、天の川の岸で天の牛を飼っている【彦星】という若者です。彦星は、とても立派な若者でした。織姫も、輝くばかりに美しい娘です。二人は相手を一目見ただけで、好きになりました。二人は結婚して、楽しい生活を送るようになりました。でも、仲が良過ぎるのも困りもので、二人は仕事を忘れて、遊んでばかりいるようになったのです。すると、天の神様のもとへ、皆が文句を言いに来るようになりました。「織姫が機織りをしないので、皆の着物が古くてボロボロです。早く新しい着物を作って下さい」「彦星が世話をしないので、牛たちが病気になってしまいます

神様は、すっかり怒ってしまい、「二人は天の川の、東と西に別れて暮らすがよい」と、言って、織姫と彦星を、別れ別れにしたのです。でも天の神様は、織姫があまりにも悲しそうにしているのを見て、こう言いました。「一年に一度だけ、七月七日の夜だけ、彦星と会ってもよろしい」 それから、一年に一度会える日だけを楽しみにして、織姫は毎日、一生懸命に機を織りました。天の川の向こうの彦星も、天の牛を飼う仕事に精を出しました。そして、待ちに待った七月七日の夜、織姫は天の川を渡って、彦星の所へ会いに行きます。wiki参照
②【七夕の行事の流れ】
七夕の行事にはいくつかの流れがあり、古く中国と日本のいろいろな行事が重なり、それらが複合して七夕の習俗ができあがったと考えられています。
⑴中国の後漢(25~220)の時代に始まった㈠【牽牛星と織女星の星祭の伝説】と㈡【乞巧奠(きこうでん)】の行事が中国から伝わり、星祭上記のようなロマンチックな伝説で、㈡乞巧奠は、女子が手芸に巧みになるよう乞うという意味で、織女星を祭り、裁縫や習字などの上達を願う行事です。
㈡は、奈良時代に宮廷や貴族の間で取り入れられ、やがて民間に普及し、女子が裁縫の上達を祈る星祭の行事として長く続きました。
笹竹を立て、短冊に詩歌を書いたり、手習い事の上達を願う習俗は、寺子屋が普及した江戸時代になってからで、江戸では6日の夕方、竹売りから笹竹を買い、色紙や短冊をつけて軒先に立てるしきたりがありました。
現在は、竹笹に願い事を書いた短冊をつるし、色紙で細工したものを飾りつけたりしています。
⑶古くからの日本固有の七夕の民族行事です。【7月の盆の先祖祭】につながるもので、その前に穢(けがれ)を祓(はら)い清める行事で、七夕の日には、水浴を大切な行事とした所が多いです。例えば、髪を洗ったり、子供や牛、馬に水浴びをさせたり、墓掃除をしたり、井戸をさらったりしました。水浴びを「ねむり流し」とか「ねぶた流し」とも言いました。
青森の「ねぶた祭り」も、本来は穢(けがれ)を水に流す【禊の行事】で、一種の【七夕行事】です。ねぶた(ねぷた)は眠たきのことで、【睡魔を追い払う行事】です。町をねり歩いた人形や灯籠は、川や海へ流しました。一般に6日の夕、笹を立て飾りつけをし、7日の朝(または8日)川や海へ流しました。これを「七夕流し」とか「七夕送り」と呼びました。

 

【牛郎織女伝説】古代の日本には、7月15日に川や海、湖 池などの水に関連する地域に【水の神】が降臨すると信じられており、水源付近の村落の人々は水辺に【棚機】を用意し、【穢れのない棚機津女】が【神の為に神聖な織物を織る事で村落の災厄を取り除いて貰います棚機津女は、神と一夜を過ごす事で神の子を宿し、自分自身も神になってしまう伝説です。
日本でも1年に一度しか会う事が許されない彦星と織姫のロマンチックな話としても知られており、7月7日の夜には鷲座のアルタイル:彦星が上弦の月に乗り、天の川を渡って琴座のベガ・織姫に会いに行く伝説として知られています。

しかし、七夕に雨が降ると、彦星と織姫は会う事が出来ない為に、七夕に降る雨は織姫と彦星が流す涙だとされ、洒涙雨と呼ばれています。
【ほおずきの節句】江戸時代、この日に、【ほおずき市】が開かれ、【ほおずきの根堕胎の薬、子供を堕ろす薬)を服用する節句】でもあったと云います。これは、農作業から考えると、7月7日前後に女性が妊娠していると、ちょうど秋の取り入れの頃、妊娠3、4ヶ月目となり、一番苦しい時期となります。その母体を保護するために、根を服用して、早いうちに流産させておく節句だったといいます。当時の中条(ちゅうじょう)流秘伝の堕胎法は、ほおずきの根を服用し、その煎汁で子宮口を洗滌(せんでき)する方法でした。
江戸時代には、書道学問の上達を願う行事となり、また、織姫星と彦星を引き合わせるため、たらいに水を張って、2つの星を映し、わざとたらいを揺らして2つの星があたかもくっついたようにすることも行われていたようです。
☆七夕の水に関する習俗は、日本固有のものです。例えば、七夕の日は短冊が流れるほど雨の降るのがよいという地方もあります。これは雨を清めの雨と考え、七夕を祓いの行事の日と考えたからです。ところが、中国の牽牛星と織女星の伝説では、この夜、雨が降ると、二人は会うことができないことになっています。
雨や禊は、東南アジアの湿潤文化圏星祭りは中国北部・中央アジアの乾燥文化圏の伝承で、日本ではその両方が見られます。
節句記事参照http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/201195-cc12.html

上記ランキングに参加しました。下記2つをポチィと押して下さい。

あなたのポチィが励みです。よろしくお願い致します。

■人気ブログランキング こちらをポチィと押して下さい!

■精神世界ランキング  こちらをポチィと押して下さい!

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村←こちらをポチィと押して下さい!

+。:.゚.:。+゚+。:.゚.:。+゚+。:.゚.:。+゚+。:.゚     

スケジュール・予定【事前予約制】

現在は【事前予約制】で、イベント、ワークショップ、お話会、個人セッション、カフェタイム等を行っています。

お問い合わせは 【図書館カフェHabiRoad  平井克也】 迄ご連絡下さい。       
a.右記メールアドレス  habiroader@yahoo.co.jp    
b.平井克也へのfacebookメッセージ 

https://www.facebook.com/habiroad
c.電話:図書館カフェ:  03-6380-5892、070-6439-3695      
のいずれかでお願いします。      
+。:.゚.:。+゚+。:.゚.:。+゚+。:.゚.:。+゚+。:.゚     
【図書館カフェ HABI ∞  ROAD 】 

■店内画像

    
【ブログ】http://ameblo.jp/skmhirai/    
【フェイスブック】(図書館カフェ)http://www.facebook.com/habiroader     
【営業時間】10:00~21:00  (予約制)    
【電話番号】  03-6380-5892  070-6439-3695    
【メール】habiroader@yahoo.co.jp 
【住所】渋谷区千駄ヶ谷5-32-5  GSハイム新宿南口1階     
(新宿高島屋近くの新宿パークホテル前のファミリーマートを新宿御苑方面に10m)

アクセス(道順) 

■地図
【交通】JR「新宿駅」新南口から徒歩7分、JR「代々木駅」東口から徒歩6分 、    
地下鉄「新宿3丁目駅」E-7、E-8出口から徒歩3分     
【店主】 平井克也     
【フェイスブック】https://www.facebook.com/habiroad


Viewing all articles
Browse latest Browse all 5218

Trending Articles