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1日1度宇宙を楽しく進もう!7日6時51分は二十四節気の【小暑】❶

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【1】❶私は日本という国に生まれて本当に良かったと思っています。
なぜなら、春には梅や桜などの花々が咲き、夏には透き通るような海で泳いだり、秋には燃えるような紅葉が山々を飾り、冬には一面銀世界になるような雪景色…四季のバランスがあり、四季折々に花や風景、食の楽しみがあり、その四季折々にみせる自然がとても素晴らしいからです。
私達日本人は、それらの天からの素晴らしい頂きもの(プレゼント)に本当に感謝しなければいけないと思います。本当に有難いことです。
日本の【神道】は「神の道」と書きますが、古代、日本には神社という形はなく、人々は身の回りにある自然(山、海、土、岩、木、花…)そのものを神として厚く敬ってきました。命あるものすべてを敬い、慈しむのが、本来の日本古来の神道であり、【祈りの心】です。
日本には八百万(やおよろず)の神様がいらっしゃるというのは、水の神様、木の神様など、すべてに神様の名前があるからです。
なので、山に登る時は、「登らせて頂きます」と神様にお供えをして、手を合わせ、漁に出る時も、海の神様にお供えをして、手を合わせていたそうです。古の日本人は自然を神として敬い、四季の巡りに順応し、常に自然と対話しながら暮らしていました。宇宙の流れや四季の流れに逆らわず、自然を慈しみ、自然と一体になって暮らす日本人の生活そのものが、「祈り」であり、古代の人々にとって「祈り」という行為は決して特別なものではなく、日常的な普通のことだったと思います。
私達、現代人も、古の日本人(といっても、50年位前まではそういう生活が少しは残っていたと思いますが…)のように、日常生活を、今この瞬間を、宇宙の流れや四季の流れに乗り、常に自然と対話しながら、自然を慈しみ、自然と一体になって暮らす「祈り」の生活をしていきましょう!
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❷日本は、上記のように、四季の移り変わりが鮮やかな国です。
春夏秋冬で表される四季ですが、日本にはさらに細かく季節を分類(1年を24等分に)した【二十四節気(せっき)】というものがあります。
「二十四節気」とは、1年(太陽が見掛け上の通り道の分点である(春分・秋分)と至点(夏至・冬至)から出て再び戻ってくるまでの日数)を24等分して、約15日ごとに分け、その分割点となる日に季節を表すのにふさわしい春夏秋冬などの名称を付けたものです。
1年を12の「節気」と12の「中気」に分類し、1ヵ月の前半を「節」、後半を「中」と言います。
古代中国で使われていた太陰暦は、太陽の位置と無関係であったため、暦と気候との間にズレが生じて農耕等の営みに不適切でした。
そこで、季節と一致させるため、太陽の運行を元にした「二十四節気」が考案されたのが始まりです。
(※二十四節気は、太陽の動きが基本となっていますから、中国発祥の暦ですが、実は西洋占星術の暦にも対応していて、太陽が、春分点を通過する瞬間から牡羊座がスタートするのですが、二十四節気の中気の入り日が12星座の始まりに対応しています。)
現代では、季節の移り変わりを表す言葉として用いられ、身近に感じられるのが「夏至」と「冬至」ですが、立春は「暦の上では春ですが、まだ風も冷たく」など時候の挨拶に使われることもあります。
立春から始まる二十四節気は、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨、立夏、そして小満と続き、【芒種】は二十四節気の8番目となっています。
また、二十四節気は太陽の見かけ上の通り道を15度ずつ、二十四分割したもので、春分点を起点(0度)とし、45度が立夏で、その次の60度が【小満】で、75度が、今回の芒種です。
本日、6月5日(月)20時37分、『二十四節気』の【芒種】で、「稲や麦など穂の出る穀物の種をまく季節」となりました。
6月の最初の節気は「芒種の節気」で、稲を植え付ける季節とし、五月雨が間断なく降り続き、農家の皆様は多忙を極める時季としています。
芒種は、稲作中心(国家)だった日本において、絶対に欠かせない日で、主食の稲の成長が国にとって、最も重要なことなので、この時期に神様に無事な稲の成長を祈る田植え神事(お祭り)を開催することが多いです。また、稲だけに限らず、芒種の時期には多くの生命が息吹き、その命の輝きを私達の前に見せてくれる時期とも言えます。
芒種の頃は、日本人と稲作の長く深い関わりに思いを馳せる時期でもあるようですね♪
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❸先人達も、月を眺め、そして、太陽の動きを見て、農作業を行い、季節の流れに寄り沿って、自然の流れに沿って、暮らし、身体を整え、楽しんで、生きてきました。
よく、外国の方から「日本人は四季を大切にしていて素晴らしい」と言われることがありますが、昔の人は春夏秋冬だけではなく、季節を細分化して感じていたのだとわかります。
先人達は、自分の身体(=小宇宙)を知り、季節を知り、自然(=宇宙)を知り、そして、日々の生活を楽しく暮らしてきました。
それが目的なのではなく、それが養生そのものなのです。(養生の意味:生活に留意して健康の増進を図ること。)
先人達の日常の暮らし、そのものがそのまま養生でもあり、祈り(スピリチュアル)の生活なのだと思います。
先人達のように、自然の流れに沿って、古来から伝わる年中行事や日本の風土に沿った暮らしを生活のリズムとして取り入れ、健やかに美しく生きる生活を始めてみましょう♪
そして、日本の豊かな四季を二十四節気や、七十二候を参考に、季節の旬を「嬉し、楽し」で、楽しんでいきましょう!
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7月7日(金)6時51分は二十四節気の【小暑】です。
【2】小暑(しょうしょ)…二十四節気の第11番目。六月節(旧暦5月後半から6月前半)。
❶現在広まっている【定気法】では…【太陽黄経:105度】の時で、七夕が行われる7月7日頃(2017年は7月7日)。暦ではそれが起こる日ですが、天文学ではその瞬間とします。
【恒気法】では…冬至から13/24年(約197.84日)後で7月7日頃。
【期間】としての意味もあり、(2017年7月7日に始まり、次の節気:大暑の前日(2017年7月22日)までです。
【前後の節気】夏至→小暑→大暑 夏至から数えて15日目頃。
※二十四節気とは、地球から見た空を球体として、その球体上の太陽の通り道を24分割したもので、中国が発祥とされています。
昔、一年を月の満ち欠けにより決めていた太陰暦では、一年で一ヶ月程度の誤差が生じてしまうため、どうしても季節感のズレがあり、それを補正するために二十四節気が考えられるようになりました。
二十四節気は、冬至を計算の起点にして、1太陽年を24等分した約15日ごとに設けられています。
ちなみに、二十四節気は中国の気候を元に名づけられているので、日本の季節感とは合わないケースもあります。
❷季節…「梅雨の終わりと夏の始まり」…本格的な夏を迎える合図の時で、梅雨明けが近付き、蝉が鳴き始め、暑さが本格的になる頃です。
①小暑は、小さく暑いと書くことから、暑さ本番の少し前、これから本格的に暑くなるという頃を指し、この頃から暑さがどんどん強くなっていくという意味があります。
・“熱在三伏”(夏の酷暑の期間を表す)の初伏の前後。木々の緑は深く濃く、気温はすでにとても高いが、まだ最高に暑い所に到達していないため、小暑という。
・梅雨も上がって、蓮の花が咲き始め、ヤモリが壁をつたい始め、蝉が鳴き始め、いよいよ本格的な夏の到来を告げる暑い風がやってくる季節です。
・小暑は文字通り「これから一段と暑くなる」事を表していますが、実際に暑い日もありますが、梅雨空が残る湿度の高いジメジメとした気候が続く日でもあります。
・ミンミンゼミやアブラゼミが鳴き始めるのも小暑のあたりからです。
②梅雨の終わる頃で、集中豪雨、暴雨が多く発生する時季でもあります。南方では台風が発生しやすくなっています。
この頃は、梅雨明けが近付きつつありますが、小暑までに梅雨入りが確認できない場合は「梅雨入りなし」となることもあるそうです。
梅雨明けがまだの地方が多いので、暑さというより、梅雨明けを待ち望む心境の人が多いと思います。
③梅雨が明け、強い日差しと共に気温が一気に上がる時季のため、体調を崩しやすくなる頃でもあります。
・心煩不安・疲労乏力になり易いため、自身を保養し鍛える時期です。平静を保ち、心気旺盛になるのを保たなけれななりません。
・暑さを乗り切るために、しっかり食べて 体力をつけましょう。
④小暑を迎えると、衣食住のあらゆるものが夏向きのものに変わり、暮らしのすべてが夏仕様に変わる頃です。
⑤この頃から知人、友人、日頃お世話になっている方々に、【暑中見舞い】を出し始めます。
【暑中見舞い】とは…お盆の前に贈り物を持って直接訪問した名残りで、訪問するかわりに挨拶状を出すようになったのが始まりだと云われています。
・出す時期は、小暑あるいは大暑~立秋の前日までで、⑴「正式には大暑からという説」⑵「夏土用の間に出す説」⑶梅雨明けを以てするとする説ももあり、
この期間であっても梅雨の間は控え、梅雨明けした後に出すのがよいでしょう。日付は書かず「〇〇年 盛夏」「〇〇年 〇月」とします。
・「暑中」とは、暦の上で一番暑い時期とされていますが、特に土用の18日間をいいます。夏の土用とは、小暑から13日目の20日頃から立秋の前日8月7日頃までのことです。
・終了時期は立秋(2017年8月7日)で、それ以降は残暑見舞いになります。


⑥全国高等学校野球選手権地方大会も小暑頃に開幕を迎えます。
⑦小寒と互いに半年後・半年前で、大寒と大暑も同じ関係です。
❸また、温かい風が吹き、蓮の花が咲き、鷹の子供が鳴き方を覚えるのも小暑の頃と言われています。
★【七十二候(しちじゅうにこう)】…小暑の期間の七十二候は以下の通り。
①【初候:第三十一候】…7月7日~7月11日頃
『温風至(おんぷう いたる)』…暖い南風が吹いて来る(日本・中国)
温風は、梅雨明けの頃に吹く南風(白南風シロハエ)を指していて、暖かい風が吹いてくる季節を表していて、雲間から日差しが強くなる時季を指します。
・温風至の季語・・・七夕(たなばた)・ゴーヤ・梅雨明け・ほおずき市など
②【次候:第三十二候】…7月12日~7月16日頃
『蓮始開(はす はじめて はなさく・ひらく)』…蓮の花が開き始める(日本)
『蟋蟀居壁(しつしゅつ かべに おる)』…蟋蟀が壁で鳴く(中国)
蓮始開の季語・・・古代蓮(こだいはす)・とうもろこし・迎え火など
③【末候:第三十三候】…7月17日~7月21日頃
『鷹乃学習(たか すなわち がくしゅうす・わざをならう)』…鷹の幼鳥が飛ぶことを覚える(日本・中国)
鷹乃学習の季語・・・土用入り・鰻(うなぎ)・盛夏など


※【鷹について】…鷹は「一富士二鷹三なすぴ」と言われるほど、日本人にはなじみの存在でした。
5月~6月にかけて生まれた鷹の雛が、飛び方を覚え、獲物の取り方を覚える季節を表しています。日本において、生態系の頂点に君臨するのが、鷹や鷲などの猛禽類(もうきんるい)で、中でも鷹は、鷹狩に使われるなど、古い時代から、人間の身近の存在でした。
「鷹狩」というと、日本独自のものというイメージがあるかもしれませんが、その起源は、紀元前3000年~2000年頃の中央アジア、もしくは、モンゴル高原と考えられています。
歴史的にみると、中世貴族の賢威の象徴であったり、娯楽として行われていて、日本での鷹狩は、「日本書紀」で確認できる記載、四世紀、仁徳天皇の時代が最古のものとされています。
鷹狩は、歴代天皇や貴族、武家や戦国武将にも好まれ、鷹狩好きな武将として、徳川家康が有名ですが、徳川家代々の将軍は、鷹狩好きが多かったそうです。
三代将軍家光が、在職中に行った鷹狩は数百回と言われ、八代将軍吉宗の時には、鷹を飼い養い管理する役目があり、鷹匠(たかじょう)と称していました。
鷹狩は、明治維新以降、衰退しましたが、鷹を操る鷹匠の技は、現在も受け継がれています。
❹『暦便覧』には「大暑来れる前なれば也」と記されていて、本格的な暑さが到来する前の段階、という意味です。
『こよみ便覧』とは、太玄斎(たいげんさい)こと、常陸宍戸藩第5代藩主:松平頼救(よりすけ)の著した暦についての解説書で、天明七年(1787年)に出版されたものです。
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【3】小暑の旬の食材など
如何ともしがたい暑さに対して、涼味を感じさせる工夫を日本の暮らしに見ることができます。着るものは羅(うすもの)、簾(すだれ)やよしず、風鈴、蚊帳、花茣座(はなござ)、打ち水、夕涼みなど。「夏料理」はこの時期の季語で、見た目にも涼しげな竹やガラスなどの器を使い、氷を敷いたり、花氷をあしらいます。
味わいはあっさりとしたものが多くなります。土用丑の日の鰻も忘れてはいけません。夏バテしない工夫です。
❶①《小暑の頃に旬を迎える食材》
小暑の日の行事食は特にありませんが、小暑の時期に旬を迎えるものを食べるといいです。(夏野菜が美味しい時期です。)
梅雨明けの頃でもありますので、栄養をたっぷりとって夏の暑さが本格的になる前に夏の準備をし、夏を元気に過ごしましょう。
⑴【野菜】…明日葉・ゴーヤ・胡瓜(きゅうり)・茄子(なす)・トウモロコシ・ピーマン・トマト・枝豆・いんげん・ししとう・獅子唐辛子(ししとうがらし)・おくら・みょうが・らっきょう など夏野菜全般
・「オクラ」…切り口がお星様のようで、七夕の季節にぴったりです。エジプトが原産で、幕末に日本に入り明治時代に栽培が始まったといわれています。新鮮なオクラは生のままでもおいしくいただけます。意外なのがその花の美しさ。早朝に咲き、夕方にはしぼんでしまう儚い花びらは食用にもなります。
・「みょうが」…日本をはじめ、台湾や韓国などで食べられているようですが、食用栽培をしているのは日本だけらしいです。乾燥を嫌うので、保存する際は霧を吹いたり、湿らせたキッチンペーパー等で包んでから冷蔵庫に入れましょう。
⑵【果物】…スイカ・あんず・梅
⑶【魚貝類】…鮎(あゆ)・鰻(うなぎ)・鰯(いわし)・鱧(はも)・かます・すずき・キス・アオリイカ・ウニ・シジミ  など…
②冷たくて、この時期に食べたくなる人気の<そうめん>…千年も前から七夕の行事食で、また、7月7日は「そうめんの日」です。


⑴由来…古代中国には、帝の子が7月7日に亡くなり、霊鬼神となって熱病を流行らせました。その病よけとして、その子の好きだった索餅(さくべい)をお供えし、食べるようになり、「七夕の日に索餅を食べると、1年間無病息災で過ごせる」という言い伝えがありました。
そうめんの原形は、奈良時代に中国から伝わった「索餅」(米粉と小麦粉を混ぜ合わせたものを細かく伸ばし、索:縄状にした食べ物:「むぎなわ」)で、麦の収穫期に麦餅を作る風習とともに宮中行事(平安時代の宮中行事では、七夕に索餅を供えていたそうです)に取り入れられ、一般にも広がっていきました。
その後、日本国内で、さくべい→「さくめん」→「そうめん」に変化したという説があり、そこから七夕にはそうめんを食べる風習が生まれたそうです。
そうめんは奈良県桜井市が日本での発祥の地とされています。
室町時代から「索麺(さうめん)」の名で文献に登場し、文献には「梶の葉に盛った索麺は七夕の風流」とあり、七夕の料理として使われていた様子がうかがえます。
江戸時代には、七夕にそうめんを供える風習が広まっていき、細く長いそうめんを糸に見立てて、裁縫の上達を祈願したものと伝えられています。
また、古来において、「七夕は機織や裁縫の上達を祈るお祭り」として行われていましたので、糸を織る織姫と結びついて、細くて白いそうめんを糸に見立ててお供えしていたようです。
節供に旬のものを食べ、邪気を祓ったり無病息災を願ったりする風習がたくさんありますが、夏においしいそうめんもその一つで、暑さで食欲が減退するこの時期にぴったりです。
ただ、そうめんを食べるのは必ずしも全国的な風習ではないようですが、仙台などでは七夕の日にそうめんを食べる習慣があります。
★この時期蒸し暑いからと言って冷たいものを多く食べ過ぎると、身体に良くありません。
この時期は身体の中の熱や湿気を取る性質のある食物を摂るといいです。
小暑は梅雨が明け、強い日差しと共に暑くなる時期を表す言葉ですが、実際の季節は梅雨の終わり頃です。
この時期は食品が痛みやすく、食中毒等を起こしやすい時期です。体調に、食品管理に充分注意していきましょう。
ただその一方、気温、室温が急激に上がることで食べ物が腐りやすくなっていく時期にもなってきますので食べ物の品質管理等はお気を付けください。
■熱や湿気を取る性質のある食物…豆もやし、ゆば、ソラマメ、スイカ、トマト、赤身の牛肉、ネギ、ショウガ、穀物酢
⑵色つきそうめんの秘密
色がついているそうめんは、五色の短冊と同じように、陰陽五行説の五色に由来する厄除けの意味が込められています。
本来は「青・赤・黄・白・黒」の五色をお供えしていましたが、いずれかを用いることが多くなりました。
⑶七夕そうめんのトッピング
そうめんを茹でたら、そうめんを天の川に見たて、七夕にちなんだトッピングをしてみましょう。
夏野菜のオクラは、輪切りにすると切り口が星の形になって、七夕にピッタリです。
人参やきゅうりなどを星形の抜き型で抜いて散りばめると、色とりどりの星がきらめく天の川のできあがりです。
織姫と彦星に見立てて、子供達が大好きなハムや蒲鉾なども添えてみもおいしく楽しく食べられます。
笹を飾ると、風流で、食欲もそそります。
細く喉ごしよく延べられたそうめんや冷や麦は、見た目も涼しげで、食が細くなる真夏にはひときわ有難いものですが、身体を冷やし過ぎないように気をつけましょう。
<鰻(うなぎ)>土用の丑の日(2017年7月19日)といえば、まず思い浮かぶのは鰻です。
暑い夏を乗り切る食べものとして欠かせない定番の食べ物です。
土用とは二十四節気の「春・夏・秋・冬」の季節ごとにあって、四立(立夏・立秋・立冬・立春)の直前の約18日間を指す言葉で、夏の土用は、小暑の季節中(末候頃)に訪れます。
この期間中に12日で一回りする暦「十二支」にて、「丑の日」があると「土用の丑の日」となります。
なので「土用の丑の日」は年に数回訪れますが、一般的には「夏の土用の丑の日」を指す言葉なのです。
夏は疲れやすいので、夏バテする前に、鰻(うなぎ)を食べて、体力とスタミナをつけましょう。
❷植物
①「竹」はお正月の松と同じように【依り代】とされてきたものでした。門松にも使われます。「竹」の語根は「猛々しい」などと同じく「岳」や「丈」「長け」などとも通じます。竹の生命力、長じる速さ、節を持ち、節と節との間の空隙には「かぐや姫」のお話のごとく、命が生じる空穂(子宮)にも見立てられたものです。
また、笹の葉で包まれた菓子やご飯があるように、竹の葉の殺菌力には邪気を祓う力があり、「笹の葉 さらさら~♪」と唱歌のように、その葉ずれの音が神様の訪れ(音連れ)を察知させるのでしょう。
②蓮・水連


この頃は蓮の花が咲き始める頃でもあります。
蓮は、泥の中から、すくっと茎をのばし、鮮やかなピンクや真っ白な花を咲かせます。
その花は、夜明けとともに開き、午後には花がしぼんでしまい、4日目には散ってしまいます。
しかも、生息地の泥が汚れているほど、大きな花を咲かせるというのですから、不思議な植物です。
蓮が泥水の中で育ち、咲かせた花には、何の汚れもありませんので、仏教では、泥水は煩悩や苦しみの世界を表し、花は悟りの世界を象徴すると言われています。
また、仏様の台座や厨子の扉に、蓮の花の彫刻が施されています。
少し風流に蓮観賞に出掛けてみましょう。午後には花がしぼんでしまいますので、行かれる時は朝の早い時間にしましょう。
③朝顔(あさがお)7/ 1~10/10頃、
④向日葵(ひまわり)7/10~9/10頃


7月から咲きだす花(月日は開花時期)…唐鼠黐(とうねずみもち)7/ 1~20頃、令法(りょうぶ)7/ 1~20頃、半化粧(はんげしょう)7/ 1~20頃、南京黄櫨(なんきんはぜ)7/ 1~末頃、禊萩(みそはぎ)7/ 1~8/末頃、鳳仙花(ほうせんか)7/ 1~9/20頃、松葉牡丹(まつばぼたん)7/1~10/25頃、青桐(あおぎり) 7/5~15頃、女郎花(おみなえし)7/5~ 10/10頃、槐(えんじゅ)7/10~8/末頃、紅葉葵(もみじあおい)7/10~8/末頃、屁屎蔓(へくそかずら)7/10~9/15頃、浜木綿(はまゆう)7/10~9/末頃、待宵草(まつよいぐさ)7/10~10/15頃、せいようふうちょうそう7/15~9/15頃、百日紅(さるすべり)7/15~10/15頃、犬蓼(いぬたで)7/15~10/25頃、浜朴(はまぼう)7/20~8/5頃、蔓荊(はまごう)7/20~9/10頃
などの花が盛りを迎えます。
❸時候の挨拶
・「梅雨明け」「七夕」「天の川」「小暑」「向暑」「猛暑」「盛夏」
小暑と言えば待ちに待った「梅雨明け」で、そのまま時候の挨拶に使うことができ、小暑では最も一般的な言葉です。
7月7日の「七夕」やそれにちなんだ「天の川」といった言葉も季節感が現れています。また二十四節気の「小暑」というのも7月7日頃を指します。
・「向暑」:その年や地域によって違いますが、気候や気温の体感を言葉にすることもできます。7月上旬ですと日ごとに暑くなる意味の「向暑」は6月に引き続き使いやすいです。
・「猛暑」「盛夏」「仲夏」梅雨明けが早かった場合は、7月中旬以降によく使われる「猛暑」「盛夏」も使えます。
 例年以上に暑い時は「酷暑」、逆に涼しい時は「冷夏」
→季節に合わせた夏を感じる言葉を、手紙の書き出しや締めの言葉に使うと、温かい手紙に仕上がります!
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【4】小暑の頃の行事や祭り…夏に入ったことで、一日の日が暮れる時間も大分遅くなってくることから、日本中で様々な行事イベントが行われています。
❶行事・イベント
①七夕の節句(7月7日)
七夕は、旧暦の7月7日に女性が手芸や裁縫などの上達を祈る「乞功奠(きこうでん)」という中国から伝わった行事と、織姫と彦星の星伝説、そして元々日本の神事であった、選ばれた乙女が着物を織って、棚に具え、神様を迎えて、秋の豊作を祈ったり、人々の穢れを祓った「棚機(たなばた)」と結びつき、今の七夕行事につながったと云われています。
現在は多くの地域で新暦7月7日を七夕としていますが、七夕まつりを旧暦に合わせて盛大に行うところもあるので、およそ1か月はあちこちで七夕まつりを楽しむことができます。
彦星と織姫の話は有名ですが、この日に竿竹に願いを書いた短冊を括り付けてお祈りすると祈りが届くと言われています。


昔この日は、お盆に向けて準備する人が多く、農耕する人たちは健康や豊作の願いを込めてソウメンの元となった索餅(さくべい)を食べたとされています。
※日本には「七夕」を含め、季節の節目を意味する「五節句」という五つの節句があります。
七草粥を食べる習慣がある1月7日、3月3日の「桃の節句」、5月5日の「菖蒲の節句」、7月7日の「七夕」、そして9月9日の「菊の節句」で五節句になります。


②暑中見舞い(小暑(7月7日頃)~立秋の前日まで)


③旧暦のお盆(盂蘭盆会)(7月13日〈迎え火〉~16日〈送り火〉)
④お中元(7月15日)
⑤土用の丑の日(7月23日頃)…暑さが厳しい土用の間の丑の日を土用の丑の日として重視してきました。
この日にお灸をすえたり、薬草風呂に入ったりすると、病気の回復や夏バテに効くとされたからです。
丑の日の「う」にちなんで、「う」のつく食べ物を食べると体に良いと言い伝えられました。
(栄養価の高い「梅干し」「鰻」、水分の多い「ウリ」、消化の良い「うどん」など)
など、いろんな行事がありますが、そういった行事も「小暑」を迎えてからになります。
いよいよ夏に近づいてきて、市やお祭りが増えてきますね^^
❷お祭り
①朝顔市(東京台東区)
入谷朝顔まつりは、毎年7月に、東京都台東区下谷にある入谷鬼子母神(いりやきしもじん:真源寺)とその周辺で開催される朝顔市。東京の夏の風物詩。
日程:2017年7月6日(木)~8日(土)時間:5時~23時、歩行者天国:6日・7日17:00~21:30、8日12:00~21:30、例年の人出:約40万人
入谷朝顔まつりでは、毎年60軒の朝顔業者が、見事な花を咲かせた朝顔の鉢を並べて、朝顔市を開催。


②ほおずき市(江戸中期からの歴史を持つ浅草寺:東京台東区)(7月上旬)…梅雨明けの頃、東京を中心に関東各地のお寺で立つほおずき市。
ほおずき市が催される日は「四万六千日」といって、四万六千日分のお詣りしたのと同じご利益があるとされています。
ちょうちんのような形をしたほおずきは漢字では「鬼灯」「鬼燈」と書き、赤い色は夏の雷除けであり、その形からお盆に先祖が帰ってくる時の霊の道を照らす提灯になるとされ、お盆の精霊棚に飾ります。
また、漢方では根を「酸漿根」(さんしょうこん)といい、茎や葉とともに解熱や咳止めなどに用います。果肉を食べると癇癪に効くとされており、ほおずきに「酸漿」の字をあてることもあります。
その他にも、ホオという虫がこの葉を好んで集まるので「ホオ着き」、口で鳴らす時に頬がぷくっと膨らむから「頬突き」、果肉が火のように赤いから「火々付」など、様々な語源があります。
□ほおずき市の楽しみ方…夏らしい浴衣姿で、ずらりと並んだほおずきを見て歩くのも楽しいものです。ひと鉢買って持ち歩くのも絵になります。
ほおずきを買ったら、日当たりのいい窓際に鉢を置いて、朝晩たっぷり水をあげましょう。買った時は青かった実も、どんどん朱色に染まり、夏の間楽しめます。
□ほおずきで遊ぶ…ほおずきが熟したら、鳴らして遊んでみましょう。
⑴外皮を開いて、中の実をもみます。⑵種がくるくる浮いてきたら、外皮を付け根の所からねじるようにして、実から引きはがして中身を取ります。⑶穴を下にして、上の歯ぐきと舌でギュッと空気を絞り出すと音が鳴ります。


③花火大会
第70回塩竈みなと祭 前夜祭花火大会(宮城)…2017年7月16日(日)…伝統ある塩竈みなと祭に華麗な花火が彩りを添える
第39回足立の花火(東京)…2017年7月22日(土)…荒川の土手の斜面に座ってゆったり観賞
④博多祇園山笠…7月1日~15日:この博多祇園山笠はユネスコ無形文化遺産にも登録されており、約770年の歴史を持つ博多の大祭りとなっています。
福岡市街各地には「飾り山笠」や「舁き山笠」が飾られて福岡市内を煌びやかにします。
さらに15日早朝の「追い山笠」は市街各各地を沸かせるほどで、15日間ある博多祇園山笠を締めくくります
⑤祇園祭…八坂神社の祭礼。日本三大祭のひとつ。毎年7月1日(吉符入)~31日(疫神社夏越祭)まで、1ヶ月にわたって行なわれます。
その歴史の長いこと、またその豪華さ、祭事が1ヶ月にわたる大規模なもので、単に神社や氏子達だけのものでなく、京都市全体の祭りとして広く知られています。
約1100年前、神泉苑に日本全国の国の数の鉾66本を立て、祇園の神を祀り災厄の除去を祈る祇園御霊会を行ったのが始まりと伝えられています。
祭のハイライトは、17日(前祭・山鉾巡行と神幸祭)と24日(後祭・山鉾巡行と還幸祭)に行われる33基の山鉾巡行です。「京都祇園祭の山鉾行事」はユネスコ無形文化遺産にされています。
なお、祇園祭山鉾巡行は、平成26年、7月17日の前祭巡行(23基の山鉾)と24日の後祭巡行(10基の山鉾)の2度の巡行が49年ぶりに復興しました。
7月14日~16日の前祭(さきまつり)宵山:各山鉾では、夜は提灯が幾十となく点火され、祇園囃子がにぎやかに奏でられました。
宵山では各山鉾町の駒形提灯に灯がともり、鉾からは祇園囃子が流れ、 町会所などには山鉾の人形・織物・金具などが美しく飾られ、 お守りを売る浴衣姿の子供たちの童歌を聞くことができる。
【歴史】約1100年前の清和天皇の貞観11(869)年に、京洛に疫病が流行し、庶民の間に病人、死人が多数出ましたた。 これは、牛頭天王(ごずてんのう、素盞鳴命)のたたりであるとし、そのご機嫌をとるため神をまつり、祇園社(八坂神社の前身で、祭神は素盞鳴命)を信仰し、病魔退散を祈願しました。 その方法は、日本全国の国の数に準じて66本の鉾をつくらせ、それを神泉苑(中京区御池通大宮)におくり、悪疫を封じ込む御霊会をおこなったのが始まりであると伝えられています。 
その後、祇園社の興隆とともに、"祇園御霊会"とよばれ、この名が略されて単に祇園会と呼ばれるようになりました。
初めの頃は、疫病流行の時だけ不定期に行われたましが、円融天皇の天禄元年(970)からは、毎年6月14日におこなわれるようになりました。 
その間、保元、平治の乱の時、一時絶え、足利時代に再興、足利将軍、夫人らが観覧したことが記録に残っています。
しかし、応仁、文明の乱に京都は焼野原と化して折角の祇園会の興隆に一頓挫をきたしましたが、すでに町衆の手に支配されていた祇園会に対する熱情は容易に屈せず、大乱の約30年程のち、明応(1500)9年6月には再び山鉾26基が巡行したと伝えられています。
これらが契機となり、山鉾は町衆の手によって創意がこらされ、内容外観ともに豪華、絢爛なものとなりました。
永正元年(1504)6月には後柏原天皇もこの祇園会を観覧しているが、当時の町衆の信仰と勢力は次第に大きくなり、天文2年(1533)一向一揆に際して、室町幕府は神事停止を命じましたが、"神事無之共、山鉾渡し度し"と申し出るほど、町衆の山鉾存続への熱意が高まっていきました。
鉾が今のような形になり、豪華な飾りをつけるようになったのは、桃山時代から江戸時代にかけて貿易がおこり、町衆階級が勃興して舶来のゴブラン織や西陣織などが競って用いられるようになってからです。
このように、祇園祭は1000年の伝統を誇っており、再三中断、再興をかさねて京都の歴史とともに歩んできたものです。


⑥大阪天神祭…大阪天満宮で催される祭り。期間は6月下旬吉日~7月25日の約1か月間にわたり、諸行事が行われます。24日:宵宮、25日(祭神:菅原道真の命日):本宮。
日本三大祭(他は、京都の祇園祭、東京の神田祭)の一つで、また、大阪三大夏祭り(他は、生國魂神社の生玉夏祭、住吉大社の住吉祭)の一つで、毎年130万人もの人が訪れる夏祭です。千年以上も前の天暦5(951)年6月1日に始まり、大阪とともに古い歴史を歩んできました。
この時の祭事は、大川より神鉾を流して、流れ着いた場所に祭場を設けて、その祭場で禊払いを行うというもので、これが鉾流神事の元となり、その祭場に船で奉迎したことが船渡御の起源となっていると伝えられています。
にちなんだ縁日で、25日の本宮の夜が最大の見どころで、大川(旧淀川)に多くの船が行き交う船渡御(ふなとぎょ)が行われ、菅原道真公の御神霊をお乗せした御鳳輦船(ごほうれんせん)を中心に100艘を超える船団が大川を行きかう姿はまさに圧巻です。辺りがだんだんと暗くなってきた頃、約5千発の花火が打ち上げられます。(神様に奉納する「天神祭奉納花火」)この華麗な姿より火と水の祭典とも呼ばれています。
他に鉾流神事(ほこながししんじ)、陸渡御(りくとぎょ)などの神事が行われます。ギャルみこしも有名です。
鉾流神事とは、社頭の浜から大川に神鉾を流し、漂着した場所にその年の御旅所を設ける神事で、御旅所とは御神霊がご休憩される場所のことです。
この御旅所の準備ができると御神霊は陸路で川岸まで出御、乗船して大川を下り、御旅所へ向かうルートを辿りました。この航行が船渡御で、天神祭の起源とされています。


⑦あばれ祭…2017年7月7・8日:石川県の鳳珠郡能登町:宇出津八坂神社の祭り…7月上旬に、能登のキリコ祭りに先駆けてあばれ祭りを行います。
1日目は約40基のキリコが大松明を火の粉を浴びながら進みます。2日目はキリコに加えて神輿も登場します。
名前の通り、とても激しいお祭りで、奉燈(キリコ)が大松明の火の中を舞ったり、神輿などを海や川、火の中に投げ入れたり、地面に叩きつけたりします。これは昔から行われており、当時流行った疫病を鎮めるために行ったとされています。
その姿は、能登のキリコ祭りの中で最も勇壮な祭りの一つで、石川県の無形民俗文化財に指定されています。
⑧成田祇園祭…千葉県成田市で毎年7月に行われ、300年以上も続いている、伝統のある「成田山新勝寺の奥之院」の祭礼で、大日如来に、五穀豊穣、万民豊楽を祈願する、千葉県内最大のお祭りです。
日程:2017年7月7日(金)~9日(日)…毎年、7月7・8・9日の直近の金・土・日曜日に開催されます。
成田山と旧成田(参道周辺の9ヶ町)が参加して、神輿と動く芸術品とも呼ばれる10台の華やかな江戸方の山車や豪華絢爛・重厚な屋台を曳き回し、その後に続いて、お囃子に合わせて法被にはちまき姿の男女が、扇子を手に奉納踊りを舞います。
・7月7日(金)13:30~ 成田山新勝寺大本堂前…「安全祈願」、鏡開き、山車・屋台、競演(お囃子に合わせて若者たちが威勢よく踊る総踊り)
・7月8日(土)9:00~ JR成田駅東口広場…山車・屋台、競演(総踊り)
・7月9日(日)13:00~ 成田山表参道(門前~薬師堂)…山車・屋台、総引き
・7月9日(日)16:30~ 成田山新勝寺大本堂前…御輿還御式、山車・屋台、競演(総踊り)
この地理的な条件も手伝って、ゆったりとした優雅な曳き廻しと、勇壮な曳き廻しの両方を見物することができます。
⑨風鎮大祭…7月第1日曜日:奈良県生駒郡三郷町:龍田大社
これは風の難を除くお祭りとされており、龍田大社の中でも年間祭事中、最も重儀とされています。
午前中に祭典が行われ、午後から剱舞や民踊などの神賑奉納行事が行われます。
その後に有名な「風神花火」が披露されて風鎮大祭を締めくくりますが、一日を十分楽しめる祭事となっています。
⑩久喜提灯祭り「天王様」…毎年7月12日と18日…旧久喜町の鎮守である八雲神社の祭礼。
天明3年(1783年)の浅間山の大噴火で、桑をはじめ夏作物が全滅したことによる、生活苦、社会不安などを取り除くため、祭礼用の山車を曳き廻して豊作を祈願したのが始まりと伝えられ、230余年の歴史と伝統を誇る祭りです。
7町内から7台の山車が繰り出され、昼間は、神話などから題材をとった人物の人形を山車の上に飾り立て、町内を曳き廻します。
夜は、人形を取りはずし、山車の四面に約500個の提燈を飾りつけた、提燈山車に早変わりします。これは夏の夜を彩るイベントとして最大の見どころとなっています。
町内の若い衆が、賑やかな笛や鉦・太鼓のお囃子にのせ、関東一と言われる山車を回転させたりして、市内を巡行する様はまさに圧巻です。
⑪(毎年)7月14日 那智の火祭り…熊野那智大社の例大祭で、正式には「扇祭」「扇会式」と呼びます。
那智の火祭りは熊野那智大社に祀られている滝の神が、年に1度滝本の飛瀧神社への里帰りを行うもので、十二体の神々を御滝の姿を表した高さ6mの扇神輿十二体に遷し、熊野那智大社から御滝へ渡御をするものです。
⑫第22回川崎大師風鈴市(神奈川県川崎市)…毎年7月に開催(2017年7月19日(水)~23日(日))
年々盛況を呈し、今年でを迎え、川崎大師の夏の風物詩として、関東近郊はもとより全国の皆様に親しまれています。
全国47都道府県より、 900種類、 30,000個の風鈴が勢揃いして、賑やかに開催します。
このように様々な行事イベントがあるのが小暑の特徴でもありますが、やはり体調を崩しやすい時期でもありますので皆さんもお身体をお気をつけてお過ごし下さい。
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