茶碗といえば“わび・さび”が常識だと思いますが、
茶碗の中に天国の色鮮やな花園のひろがりを感じさせてくれるのです。
そして、彼は耀琓を通して「天と人は融合している」
しかし、写真を見ただけでは、彼の耀琓のよさはわからないし、
【地上天国】を創りたいと思ったから、
この【耀琓】は、現在では、一個が最低でも300万円前後、
この【天国茶碗】でマコモ茶を飲んで、
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【下記詳細】
彼は、120巻執筆することが一つの目標だった霊界物語を、
彼は、天界のエネルギーを現世の耀琓に投じ、
そして、第二次大本事件拘留中の構想を元に、
土も燃料もままならぬ中、
これの製作に没頭したそうです。
彼は、この耀琓を妻、出口澄に
『この楽焼一つ造るのにも、
(『かむながらたまちはえませ』の神文)を込め、
いまのお前らわろうとるが、いまに宝になるのや。』
彼は耀琓をそれほどの「魂を込めて創った」と言われています。
【ミロクの大神、神素盞嗚大神、スの下生・顕現】である彼が、
血と肉と【魂を込めて耀琓を創った】ということは、
それは【霊界物語を具体化したもの】で、
【霊界物語】は「瑞月の肉身であり霊魂であり表現である」(第40巻緒言)ならば、
彼が魂を込めて焼いた耀琓は「瑞月の肉身であり、霊魂であり、表現である」
と言えると思います。
つまり、霊界物語がミロクの大神を【文章として表現】したものだとするなら、
耀琓は、それを【目に見える形で表現】したものだと言え、
【スの顕現】である彼が魂を込めて焼いた茶碗だから、
それ自体もまたスの顕現であると言え、
それは宇宙の構成元素、霊力体と天界の愛善と信真が込められている
ということに直結するのではないか?と思います。
また、この耀琓(ほんまの玉)は、神と人間を繋げるための、
天界の『玉』なのかもしれませんし、
彼は耀琓を通して「天と人は融合している」
ということを表現したかったのかもしれません。
そして、その意義とは、まさに、
『天界の扉を開く』ということであったのかもしれません。
『火と水と 土を固めて人間の 平和の為と 茶碗を造る』
『平和の世 来たらん時の用意にと 極楽の茶碗を 造りてぞ待つ』
『心力を 籠めてつくりし 楽焼の 茶碗に魂は とこしえ宿る』
(大正十五年 王仁三郎)
彼は「耀琓」(真如楽焼)をノスタルジーではなく、未来のために、
我らが生くる俗界で、神の体温を天国の光を、
両手で受け取り、感じ取れるようにして作った。
また、「耀琓」の名前がすごい!!
「エデンの花苑」「天国八」「天国三十五」等・・・
しかし、制作当時、その天国の美に気付く者はほとんどなく、
彼は、1948年、大本立直しの端緒を見届けた後、
76歳6ヶ月で昇天しましたが、
1949年2月6日、備前焼の人間国宝、 【金重陶陽】氏を訪ねた
日本美術工芸社主幹【加藤義一郎】氏が、
その日見た彼の茶碗に感銘を受けて「耀琓」と名づけ、
日本美術工芸誌3月号と8月号に下記のように、発表したそうです。
・「のちの耀盌二盌の偶見(たまたま目にすることの意)を許され、驚倒した。
おどろきのあまり、これこそ明日の茶盌でなければならぬと言った。
もしも現存の陶家で、これに追随する者がありとするなれば、
茶道は楽々と世界の大舞台に上がっていたに違いない。」
・「私は一見してびっくりした。ゆっくり見ていくうちに、その驚きは歓喜となった。
こんな近代フランスの油絵のような茶わんがあるなどとは。
いささか茶わんには自信にも似たようなものを持つ私にも、
夢にも思われないことであった。
それは楽焼という常識からも、天と地くらい隔離した“らくやき”だった。
百花絢爛、フランスの美の感覚にも負けようとは思えない色彩が、
光り輝き、しかもつつましく形造られて、異議なくお茶を飲ませる。
何という幸せ者だろう、と心に銘じた歓喜はいまもなお、血を湧かしうるのである。」
茶盌をもって如実に天国に遊ぶ機縁たらしめるべく念願して、
その理想を具体化したものが、この手のものであったと思う」
斯界の第一人者から評価を受けることになり、
瀬戸内寂聴さんは、亀岡で出口直日と対談し、
彼の陶芸作品に接して「王仁三郎の心臓」と評したそうです。
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下記が、私が好きな王仁三郎さんの言葉です。
『すべて人間は【つねに心を平静に持ち】、
悲しかったことや悔しかったことは全然忘れてしまい、
楽しかりし事をのみ思い出し、
【世界人類に対して誠をさえつくしておればそれでよい】のである。
これが【かんながらの心】である。』
【出口王仁三郎】さんがつくった【楽焼き茶碗】のことで、
彼が創った伝統的な楽焼の常識を打ち破る
ピンクやオレンジやグリーンなど、
今までの楽焼にはない斬新な光り輝く色使い&
奔放な絵付けの美しい耀琓は、見れば誰でも驚くと思います。
現代アートならそういったものはいくらでもありそうですが、
1945年当時の日本は敗色濃厚の時勢で、
また、土も燃料もままならないような物資不足の世の中でした。
その中で、彼はただ黙々と魂を込めるように土をこね、
【天国の雛形】となる【耀琓】を焼き続けていたそうです。
ということを表現したかったのだと思います!
これを触りたいし、これでお茶を飲みたいし、
彼の意思を継いで、この地球に
この【耀琓】が欲しくなり、これを買いました!
また、高いものでは1000万円前後もするという
高値が付けられているようなので、
本物でないかもしれませんが、ダウジング等で
調べてみると本物の可能性が高いです。
皆で地上天国を創っていきましょう!
膨大な「霊界物語」を著すなど、
多種多彩な才能を持っていた【出口王仁三郎】さんは
「芸術は宗教の母なり」(森羅万象が神の偉大な作品である故に、
自然の美に心を動かされ宗教心が芽生える。
偉大な芸術者である神の内面に触れるところに宗教と芸術がある。)
として宗教・芸術一元論を提唱し、当人も絵画・陶芸・短歌に通じ
「芸術の趣味を悟らぬ人々は 地上天国 夢にも来らず」と詠い、
「神の真の芸術を斯土の上に樹立することが、
私の大いなる仕事の一つである。」
とも言っていたそうです!
81巻83冊を製作後、続編を執筆しなかったそうですが、
晩年の彼は、残された時間を
ひたすらこの『耀琓』製作に心血を注いだようです。
この現世で、皆を宣伝教示するのに、
『霊界物語』という書籍(知識、理性、感性、教義)から
『耀琓』という芸術(より感性を追求)にシフトしたのではないか?
と考えられます。
1945年元旦から翌年3月にかけて、
敗色濃厚の時勢で物資不足の世の中で
「自分には時間がない」といって、
左上肢が麻痺した状態であっても休むことなく、
まさに血の小便が出るほどの集中力で、
自らの命を削るが如く情熱で、
彼はただ黙々と魂を込めるように土をこね、
36回の窯出しで、約3000~7200個の手ひねりの
【楽焼き茶碗=天国茶碗】をつくったそうです。
二千遍の「かんながらのことたま」
火と水と土と、それにわしの霊の力が入って出来たんや。
そやから、これがほんまの玉やで、
と話されたという逸話もあり、
超理想的なこのような茶わんがあったのである。よくぞ生まれていたものである。
と評し、その紹介文の見出しに「耀盌顕現」とつけたそうです。
(耀盌とは、輝くばかりの茶わんという意味)
・「師(聖師)は口癖のように
『茶は天国に遊ぶものである』と言っていたそうであるが、
それをきっかけに書画なども北大路魯山人ら
【愛善の誠をもって】、【人の幸運を祈り】、