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⑴3/3⇒26[桃の節句=雛祭り]の起源とは?

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明日、[3月3日](火)「桃の節句」「雛(ひな)祭り」ですね。
[雛祭り]は、五節句の一つの「桃の節句」(別名「上巳の節句」)にあたり、現代の日本では、[女の子の健康と幸せ

(健やかな成長)を祈る節句の年中行事の一つです。
この日は雛人形(「男雛」と「女雛」を中心とする人形)やの花など木々を飾り、白酒、菱餅、雛あられ、チラシ寿司

(ハマグリ)のお吸い物などで祝うのが一般的です。
でも、元々はそうではなかったそうです。


【1】桃の節句の起源は?
[桃の節句]の歴史は古く、日本では平安時代にまで遡ります。
旧暦3月3日は今の暦の4月上旬頃に当たりますので、

季節感としては問題なく、

桃の花の季節(開花時期は3月下旬~4月上旬)ですが、

明治時代に新暦に改められると、季節は1ヵ月以上も早くなり、

現在の新暦の3月3日では屋外の桃は開花しないので、雛祭り用に街中で売っている桃の花は温室栽培のものが多いようです。
今年の[旧暦の3月3日]は…[3月26日(木)]です。
また、[旧暦の3月の最初の巳(み)の日]は…

その翌日の[3月27日(金)]です。
やはり、この頃が[桃の節句]日和ですね。

新暦だと桃も咲いていないし、季節的にも問題がありますね。
[桃の節句]の起源中国の[上巳(じょうし)の節句]です。
中国での[上巳の節句]の歴史
「上巳」は上旬の巳の日の意味であり、元々は旧暦3月上旬の巳(み:ヘビ)の日で、巳の日は災厄を呼ぶ日とされていました。
①5世紀南北朝時代の南朝の宋の時代に書かれた

『後漢書』礼儀志上には、
②⑴両漢(前漢:紀元前206~8年、後漢:25~220年)を通して

行われた行事で、「官民皆な束流の水の上に潔し

洗濯祓除と日う。宿き垢痰を去りて大潔を為すなり」

と書かれていて、[官民揃って]、水辺に出て、禊をして

身体を清め、邪気(災厄)を祓う(=祓除をする)行事でした。
つまり、ちょうど季節の節(変わり)目のこの頃は災いをもたらす

邪気が入りやすく、体調を崩しやすいので、邪気が入らないように、

沐浴や禊をしたりして、水に心身の穢(けが)れを流して

老若男女を問わず、皆の幸福を願う行事だったのです。
⑵漢の時代、3月3日生まれて3日目に亡くなった

3人の女児を悼(いた)む儀式が起源とする説もあります。

嘆き悲しむ親のために村人達が酒を持ち寄り

女の子を清めて水葬したことから、この日は女の子の厄を払い

健やかな成長を願う日となったということです。
三国時代の(220~265年)になると、上巳節(じょうしせつ)の日]から[旧暦の3月3日の節句の日]に行われるようになりました。
当時は三月上巳に限らず、「季節の変わり目には邪気が入る」

と信じられており、[季節の節句の日]に同様の[祓除]

行われました。(=節句行事
この[祓除の行事]が[宮中]では洗練され、[曲水宴]として、

人工の流水に盃を浮べて酒を飲む宴へと変遷していきました。
「桃の節句」の由来は、「曲水の宴」という川上から盃を流し

自分の席に流れ着くまでに歌を詠む宴が催され、その際に

桃の花を添えて白酒を飲んだことからきています。
④[唐代(618~907年)]…⑴[曲水宴]は宮中だけでなく、

上流階級の私宴]となり、次第に上巳節は本来の川禊

失われて、[水辺での春の遊び]と変化し、「春遊踏青(とうせい)」という一種のピクニック(野遊び)を行っていました。
杜甫が『麗人行』で「三月三日天気新、長安水辺多麗人。」と

述べたように、これは若い男女の恋愛のチャンスの日で、

また野合が許されることもありました。
庶民にとっては[農事の節日]へと展開していていきました。
中国や韓国の一部地方では上巳節(旧暦3月3日)

「踏青」をする風習が残っているようです。
台湾でも上巳節に、邪気を払うため、

墓参りを兼ねて「踏青」を行なっています。
春は体を動かすのに適した時期であり、「外に出て、

新鮮な空気を吸いながら、青々とした大地を踏みしめよう!」

ということです。
五節句とは?
①⑴「節」とは…唐時代の中国の暦法で定められた

季節の変わり目のことです。
「節句」とは…季節の節目の日で、「節」には「季節の変わり目」という意味があり、昔は季節の節目の日に、豊作(五穀豊穣)や

無病息災、子孫繁栄などを願い、邪気を払う大切な行事でした。
②中国の陰陽道では、1・3・5・7・9の奇数を「陽」とし、「同じ

一桁陽数が重なる時には強い陰をなす」として恐れられていました。
奇数が重なる日悪いことが起こる忌日

(きじつ:忌まわしい日、縁起が悪い日と考えられ、

その災いや邪気を払うために祭りなどをするようになりました。

それで、お供えをして、水で身体を洗って、

身を清めて、[祓除]をしたのです。
③五節句
1月7日…[人日(じんじつ)の節句]

      [七草の節句]…七草粥を食べて無病息災を願います。
3月3日…[上巳(じょうし)の節句]=[桃の節句]

      長い冬が終わりを告げて、春に移り変わる時で、

      冬の間の汚れを祓い、新しい季節を迎える
5月5日…[端午(たんご)の節句]=[菖蒲の節句]

    鯉のぼりを飾ったり、菖蒲湯に入ったり、

    柏餅やちまきを食べ、子供の健やかな成長を祈願します。
7月7日…[七夕(しちせき)の節句]=[笹の節句]

七夕(たなばた)として、短冊に願い事を書いて笹の葉に吊るします。
9月9日…[重陽(ちょうよう)の節句]=[菊の節句]

      菊酒栗飯を食べて不老長寿を願います。
また節句は節供とも書き、

これは神様にお供えする食べ物を意味します。
豊作(五穀豊穣)や無病息災、子孫繁栄などを祈り、

神様にお供え物をして、お祝いをしました。
節句の頃に収穫できるものにはエネルギーが強いものが多く、

その植物から強力なエネルギーをもらい、罪穢れを祓い

健康に生活したいという願いが込められています。
旧暦の3月3日は、ちょうど桃の花が咲く頃で、桃には魔除け

(邪気を祓う)力があると言われていたことから、節句を祝うのに

ふさわしいものとして、「桃の節句」と呼ばれるようになりました。
④中国で生まれた「節句」という考えが日本に伝わったのは

奈良時代の頃です。
これが日本の朝廷で、

平安時代に[五節日]という年中行事となりました。
日本で上記の「五節句」が正式な公的行事として定まったのは、江戸時代(1603年~1868年)頃です。
日本での[上巳の節句]の歴史
奈良時代(710~794年)の初頭に、「唐(618~907年)の

上巳(じょうみ)の節句の風習が、遣唐使を通じて、日本に伝わり、

日本に古代から伝わる禊祓(みそぎはらい)神事]と結びつき、

天皇のためのお祓いの行事として取り入れられた」と云われています。
②[平安時代中期頃]に、無病息災を願う

「上巳の祓い」の[宮中行事]として取り入れられました。
⑴朝廷では、陰陽師(おんみょうじ)を呼んで、天地の神に祈ったり、「曲水の宴(きょくすいのうたげ)」を催したりしていました。

曲水の宴は風雅な文化として発展していきました。
また、天皇や貴族達が草を摘み、水辺でその草をお祓いをして、

桃の花を浮かべた酒を飲んだり、お祓いをした草や藁、紙などで人形(ひとがた)人型]を作り、 それを撫でて自分の穢れ(厄)を移して、

それを川や海へに流して、お祓いをする老若男女の為の行事で、上巳の節句として日本独自の文化として定着していきました。
この人形流しは、人間が川や海に浸かって禊をするかわりに、

草等で作った人形に穢れを移し流してしまう[身代わり信仰]です。
⑵朝廷の上巳(じょうみ)の節句とは別に、日本の農民の間でも、形代

(かたしろ)という古くからある同じような風習(身代わり信仰があり、

そこで、旧暦の3月の初め田植え前の大切な時期に、草木[人形]もしくは「形代」を作り、自分の罪や穢れを人形に移して身の穢れを清める為に、川や海に流すことで厄を祓い

幸せを願うという日本古来の農村儀礼が存在していました。
厳重な物忌精進(食事や外出を控えること)をして、

神を迎え、祭ったのです。
中国から伝わった上巳節と日本の古代から伝わる[禊祓神事][身代わり信仰]、この三つが一緒になり、

宮中行事の「上巳の節句」となったのが、平安時代です。
⑷この人形もしくは形代が、今も日本の地方などで見られる

「流し雛」のルーツだと言う説もあり、

流し雛は今でも各地に伝統行事として残っています。

京都の下賀茂神社のものが有名です。
③⑴3月3日は[節句の花見]といって、

野山に出て植物が芽吹く生命力を体の中に取り込むことで、

農作業に先駆けて豊作を願う習慣もありました。
村人が揃って山に登ったり、神が宿る季節の桃の花のもとで

酒宴を開くことで、神と人が食事を共にする儀式だったのです。
そのを持ち帰り水口祭り(種籾(たねもみ)を播いた時、苗代

(なわしろ)水口(取水口)田の神を祭り、稲の生育・豊作

祈願する祭り)をしていたのです。
⑵上巳の節句に食べ物を持って野山水辺に遊びに行くという風習は、

今も群馬県の「乙父のおひながゆ」、埼玉県の「河原沢のおひなげえ」

という行事徳島県の遊山箱(ゆさんばこ)という伝統工芸

名残を見ることができます。
※ちなみにここまでは、それほど男女の区別がなく、

まだ女の子限定の話ではありません。
④[平安時代中期頃]に「上巳の祓い」の[宮中行事]になった頃、

京の平安貴族の少女達の間には、天皇の御所を模した御殿や飾り付けをし、紙や布などで作った素朴で小さな人形「ひいな」で、貴族の生活を真似た「ひいな遊び」という遊びがありました。
(ひな、ひいな)には、「大きなものを小さくする」「小さくてかわいらしいもの」

という意味があり、宮中の暮らしを小さく表現した遊びで、

今の「お人形さんごっこ」で「ままごと遊び」でしょう。
「ひいな遊び」は紫式部の『源氏物語』や、

清少納言の『枕草子』にも見られます。
※この「ひいな」「ひとがた」長い年月の間に融け合って

雛人形が生れ、やがて家の中に飾り祀るようになり、

雛祭りの原型になってきました。
⑤流すものから飾るものに変化した雛人形
雛祭りに雛人形を飾る意味…子供が健やかに育ち幸せに

なって欲しいと願う両親の祈りが込められています。
昔は乳幼児の死亡率が高く

子供が無事に成長できるかどうかは、神のみぞ知る事柄でした。
そのため、穢れを移す身代わりのぬいぐるみの人形立ち姿を

した「天児(あまがつ)と、這っているような姿をした「這子(ほうこ)」)

子供の枕元へ置いて、災厄を祓う風習がありました。
雛人形の原型となった立ち雛厄を祓って水に流した人形

立体化したものとも言われ、後には上巳の節句に子供の穢れや厄を移した雛人形を川へ流す「流し雛」の風習も生まれました。
⑷雛人形を川へ流すのではなく、「飾ること」で

厄を祓う形へと変化していき、やがて時代と共に、

雛人形は立派で豪華絢爛なものになります。
⑸雛人形を飾るのは、昔の人形や流し雛の風習の通り、

お雛様に女の子の穢れを移して

厄災を身代わりに引き受けてもらうためです。
厄払いの意味があるので、一夜飾り

(3月2日から1日だけ飾ること)は避けるべきとされています。
雛人形は、節分の翌日にあたる立春の頃~2月中旬頃に飾り、

雛祭り(節句)が終わったら片付けるという習慣があります。
早めに、遅くとも三月中旬頃迄の天気の良い乾燥している日にゆっくり時間をかけて片づけましょう♪
[室町時代]…上巳の節句は「三月の最初の巳(み)の日」に

行われていましたが、室町時代に3月3日に定着し、人形を流す人形流しに変わって、女の子の身代わりとして紙の雛人形ではなく、豪華な

お雛様を飾って、宮中でお祝いが行われるようになりました。
「上巳の節句に、桃花酒(とうかしゅ)という桃の花びらを浮かべた

お酒を飲んだ」と言われ、このお酒を飲むと、顔色が良くなり

ありとあらゆる病気をとり除くと信じられていたのです。
これは日本の「身代わり信仰」が元になっており、

子供の厄や災いを代わりに背負ってもらう意味があります。
安土・桃山時代貴族から武家社会に伝わりましたが、

今のようなひな人形を飾って遊ぶ “ひな祭り”とは違い、

まだ、お祓いの行事というのが主でした。
この日が華やかな女性のお祭りとなるのは、戦国の世が終り、

世の中が平和になった江戸時代からのことです。
[江戸時代]…寛永6(1629)年、京都御所で盛大に雛祭りが行われたのをきっかけに、幕府の大奥でも雛祭りを行うようになり、やがてこの習慣は上流階級から町民や庶民の間にも広まっていき、

また、大都市から地方へと大きく広がっていったのです。
⑴[江戸初期]…形代の名残を残す立った形の「立雛」や

座った形の「坐り雛」(寛永雛)が作られていたが、これらは男女一対の内裏雛を飾るだけの物でした。
⑵[江戸中期]…女性達ばかりでなく、女の赤ちゃん誕生を祝う

初節句に雛人形を飾る風習]も生まれて、

雛祭りは増々盛んとなりました。
女の子が産まれてから初めての桃の節句に、雛人形を飾り

家族の皆で、健やかな成長と災厄よけを願って

お祝いをすることが「初節句」です。
雛人形には厄を引き受ける役目があり、

女の子を災いから守り、健康で、優しく、美しく成長して、

幸せな人生を送れますように」という願いが込められています。
やがて、雛人形、雛壇のほかに桃の花を飾るなど、

飾って楽しむものへと変化していき、

現在の雛祭りに近い形になっていきました。
江戸市中には雛市(ひないち)が、日本橋十軒店(じゅっけんだな・

今の室町)や浅草茅町(かやちょう・今の浅草橋)など

各所に立って大変賑わいました。
またこの頃から附属の雛人形や雛道具の種類も多くなり、

かなり贅沢なものが作られるようになりました。

飾り物としての古の形式と、一生の災厄をこの人形に身代りさせるという祭礼的意味合いが強くなり、武家子女など身分の高い女性嫁入り道具の家財の一つに数えられるようにもなりました。
そのため、雛人形・雛道具ともに自然と豪華・華美で贅沢なものになり、家の繁栄を象徴するものとなり、

また、雛飾りは女の子のあこがれの縮図となり、

それを飾る上巳の節句は、華やかな雛祭りへと発達しました。
豪華な雛を購入して自慢しあう「雛合わせ」や知人の家に

雛人形が土産を持って訪ねる「雛の使い」も盛んになりました。


⑶[享保年間]、幕府が倹約政策をとり、大型の雛人形が

一時禁止され、『御触書宝暦集成』十五では、

「雛は八寸以下、雛諸道具は蒔絵は不可」という制限が見られます。
⑷時代とともに「お祓い」の意味は薄れましたが、

五節句の一つとして制度化され、

5月5日]が[男の子の端午の節句]であることの対として、

3月3日]は[女の子の桃の節句]として定着しました。
地方によっては、雛を川や海へ流す流し雛の風習も残っています。
ちなみに現在、雛人形の製造は埼玉県岩槻市が有名ですが、

その理由は三代将軍:徳川家光公日光東照宮を造営する時に

全国から有力な宮大工を江戸に集めたことに由来しています。
日光東照宮の建設を終えた宮大工の中に、この岩槻市に残って生活し始めたものが多く、その宮大工達が神社の代わりに

作り始めたのが、この雛人形だったということです。
⑨[明治時代]…新政府は従来の節句行事を廃止して、

新しく祝祭日を定め、節句行事は一時衰えますが、

長い間人々の生活に根を下ろした行事は簡単になくなるものではなく、やがて復活し、上巳、端午、七夕など子供に関係深い節句は、

今も民間行事として盛んに行われています。

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